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2008年11月12日

「ワープする宇宙」の科学的真実について

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皆様

日本人ノーベル物理学賞の話が
突然降って湧いた直前に戻りますが、
リサ・ランドールの「ワープする宇宙」で
科学的真実が犠牲になっていないという例を
具体的にお話ししたいと思います。
たとえば、超対称性理論 を説明するくだりです。

現在受け入れられている素粒子の理論
(標準理論と呼ばれています)には、
主人公役の ヒッグスという粒子 があります。
未だ見つかっていない仮想上の粒子ですが、
あるとすればその実質上の重さは判っている。

一般に素粒子の周りにはそれと反応する
他の素粒子の雲がまとわりついていて
見かけ上重くなっています。
重い毛皮のコートを来ている人の
実質上の体重が本人の裸の体重より
重くなるのと同じです。

ヒッグスの場合、その毛皮のコートの重さを計算してやると
なんと判っている実質の重さの百万倍の百万倍になるのです。
これは、十兆トンの毛皮のコートを着ている人の
コートを含めた全体の重さが
百キロであると言うのと同じで、
どう考えてもおかしい。

超対称性理論では、
既に知られている全ての粒子に対応して
それぞれ新しい粒子があると仮定します。

そしてそれらの新しい粒子による毛皮のコートが
いわば負の重さを持っていて、
先の毛皮のコートの重さを帳消ししてしまい、
つじつまが合うようになるのです。

ただ、僕自身以前から理解できなかったのですが、
新しい粒子は古い粒子とは違った反応をするはずで、
それがきれいに相殺するというのは、どうも理解できませんでした。

それが、「ワープする宇宙」では
図を使って見事に説明されていたのです。
まさか、「ワープする宇宙」を読んで解決するとは
思ってもいませんでした。

山本均より

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2008年10月30日

The birth of the Kobayashi-Maskawa mechanism of CP violation

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This is based on a chat I had with Prof. Maskawa
on Feb 9, 2001 (Fri).

Maskawa-san was about 5 years senior of Kobayashi-san.
Maskawa-san was a joshu at Nagoya which expired in 3 years
and then moved to Kyoto U. At about the same time,
Kobayashi-san was hired at Kyoto as a joshu also.

The quark mixing in weak interaction that Cabibbo introduced
in 1963 had been extended to a credible 4-quark theory
by Glashow, Iliopoulos, and Maiani in 1970. Since then,
many people had been working on 4-quark models.
The 4-th quark, charm, was not discovered yet. Maskawa-san
and Kobayashi-san were also working on 4-quark models,
but their focus was to explain the CP violation that had been
observed in the decay of neutral Kaon several years earlier.
QCD was not established yet, and if the strong interaction
violated SU(4), then CP violation could occur in 4-quark model.
The first correct choice was to assume that the strong
interaction did not contribute to CP violation, and that
CP violation would occur in the framework of the gauge theory
of weak and electromagnetic interactions. It then became
clear that there could be no CP violation in the 4-quark models.

The mode of operation was that Maskawa-san came up with
various models which Kobayashi-san would examine and kill.
Kabayashi-san was so able and also knowledgeable about
experimental constraints that most models were rejected
one after another.

It was clear that if the number of quarks were increased,
then there could be CP violation. However, it looked quite
adventurous to propose a 6 quark model when the 4th quark
had not even been found yet. At one night in the bath tab,
Maskawa-san was resigned that probably the point of the paper
should be that there would be no CP violation within 4-quark models.
Then, when he got up from the tab, he thought maybe they should
emphasize that there would be CP violation with 6-quark models.
A slight shift of focus. But it was not the only ingredient that led to
the discovery of so-called Kobayashi-Maskawa mechanism of
CP violation.

The quark mixing matrix, which is called
the Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM) matrix, is a product of
two unitary matrixes that diagonalize left-handed up-type quarks
and left-handed down-type quarks. The diagonalization is
performed by bi-unitary transformations where the unitary
transformations of right-handed quarks also participate
but do not get included in the CKM matrix.
Bi-unitary transformation was not too well known, but
Maskawa-san had studied the chiral transformation of pions
where each of two indexes transforms by a separate matrix.
He was thus well prepared to tackle the topic of quark mixing
matrix and figure out how a CP-violating complex phase
could sneak into the weak interaction of quarks.
On the other hand, Kobayashi-san was able to quickly figure out
what forms of interaction could and could not lead to the observed
CP violation. When it was combined with the mathematical ability
of Maskawa-san, the result was that the standard theory of
CP violation is now called the ‘Kobayashi-Maskawa mechanism.’
Yes, there existed good reasons why they were the first.

Hitoshi Yamamoto(Tohoku University)

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2008年10月18日

小林・益川理論の誕生

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皆様

2001 年の春、知り合いの理論家に招かれて
京都大学の基礎物理学研究所に短期滞在しました。

当時僕は物質・反物質対称性の破れに関する実験に
フルタイムで携わっていました。
その実験は小林・益川理論なくしてはあり得なかったものです。
その益川先生がすぐそこにいらっしゃるので、
お部屋にお邪魔して
小林・益川理論の誕生の裏話 を伺うことにしました。

たしか、
「クォークが 3 つしか見つかっていないときに
6 つのクォークを提案すると言うのは
随分大胆なように思いますが?」
と切り出したように覚えています。

1970 年頃、小林先生と益川先生は
物質・反物質対称性の破れを説明する理論を探していました。
当時は素粒子の標準理論はまだ赤ん坊の状態で、
いろんな提案のどれが正しくどれが間違っているのか、
混沌としていて、
いろんな可能性がありました。

ともかく標準理論の根幹となる部分を信じ、
4 つのクォークを仮定して
物質・反物質対称性の破れを説明しようとしました。

仕事のパターンは、
益川先生がいろんな理論的アイデアを出し、
小林先生が豊富な実験知識と理解力で
次々とそれらのアイデアをつぶしていったそうです。
そしてついに、
全ての可能性をつぶしてしまった。

落胆した益川さんは
お風呂につかりながら諦め気分で、
「4 つのクォークでは物質・反物質対称性の破れは起こらない
という論文にするしかないか。」
と考えていたそうです。
そして湯船から立ち上がったとき
「まてよ、6 つのクォークなら起こると提案しよう。」
と思いついた。

小林・益川論文では物質・反物質対称性の破れの理論として
いくつかの可能性を挙げたあと、確かに
6 クォーク理論を最も自然な理論として提案しています。

山本均より

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2008年10月15日

南部陽一郎先生とラグタイム

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皆様

僕は 1986 年から 4 年間シカゴ大学にいましたが、
その間 南部陽一郎先生 にいろいろお世話になりました。

赴任して間もない頃、
「一度うちにいらっしゃい。」
とご自宅に招かれたことがあります。

大学のすぐ近く、
シカゴ南部のハイドパークにある立派な家です。
玄関を入るととても広く暗い居間があり、
真ん中にゆったりしたソファセットが陣取っていて、
グランドピアノもありました。
先生はなにか用事があったらしく
しばらくそこで一人で待つことになりました。

待っている間に退屈したからでもありますが、
そこにあったグランドピアノをたまらなく弾いてみたくなり、
失礼を承知でピアノの鍵盤のふたをあけ、
その頃自分で練習をしていた
スコット・ジョップリン(Scott Joplin)の
「エンターテイナー」を弾き始めました。
映画「スティング(The Sting)」のテーマですね。

しばらくすると奥さんが現れて
「お上手ね。」
心中「随分ずうずうしい人だな」と
思っていらしたかもしれません。

間もなく南部先生が来て
「それはもっとゆっくり弾かなきゃ。」
と言われました。
「え?」というと
「聴いた事のあるのは、もっとゆっくりですよ。」

確かに初心者は、ラグタイムを速く弾きすぎる傾向があります。
スコット・ジョップリン自身が
「ラグタイムは決して速く弾いてはならない。」
と戒めていたのを思い出しました。

南部先生は口数も少なく、
まったく気取るところもなく、
一見音楽通という印象は受けないのですが、
「ラグタイムをかなり深く理解しておられる。」
と感銘を受けました。

山本均より

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2008年09月17日

Re:ワープする宇宙

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皆様

科学的真実を重視するという信念は
Lisaの書いたベストセラー 『 ワープする宇宙 』 にも
貫かれています。

『 ワープする宇宙 』 はもちろん
一般の人々に向けて書かれたもので、
奇異で難解な概念を
噛み砕くように、誰にでもわかるように、
いろんな身近な例を使って説明しています。

このような一般向けの科学書では、
とにかく読者にわかったつもりになってもらうために、
真実を曲げて簡略化して説明する事がよくあります。

でも、『 ワープする宇宙 』 では
科学的真実が犠牲になっていない。
だから専門家が読んでも得るところがある。

感銘を受けたので
その事を Lisa にメールで送ると、
『 喜んでくれてうれしい。
あの本には随分たくさんのことをつめこんだよ。 』
と返って来ました。

確かに、英語版で約 500 ページ。
全部読みましたが、2 週間ほどかかりました。

山本均より

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2008年09月15日

リサ・ランドールの話

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天満様

天満さんの質問に答えて、
Lisa Randall ( リサ・ランドール )の話をしましょう。

Lisa と初めて話したのは
1990 年頃、僕がシカゴ大学の高等研究員として
物質反物質対称性の破れの実験をしていた頃です。

Lisa はハーバード・ジュニア・フェローという研究員で、
僕の実験に関連した理論計算をしていました。

ある国際会議のセッションのあと、
関係者が数人集まってその理論計算の誤差について
議論したことがあります。

僕はその議論の主導権をとっていた訳ではありませんでしたが、
ある粒子の崩壊で出てくる電子の偏極に関し
少しばかりコメントをしました。
すると Lisa が
「 これは、Hitoshi の言っている事が正しい。 」
とはっきり言ったのを覚えています。

話の雰囲気に惑わされず、科学的真実を
重んずることができる人間だなと思いました。

その後の経験からも、
学者としての Lisa について言えるのは、
彼女が確固たる科学的倫理観を持っているという事実です。

例えば、ハーバード大学の近くのカフェで
僕が教えていた「 場の量子論 」の講義について
Lisa と話していた時のことです。

ある粒子の崩壊の計算で
正確にいうと間違った反応形式を使ったのですが、
それについて僕が
「 実質的には全く同じだからいいか。 」
というと Lisa は
「 正直に認めなよ。 」
と言って、一笑にふされました。

学期はもう終わってしまっていたので、
生徒に「 訂正 」を示すことはできませんでしたが。

また、別の機会に
あの Weinberg との議論の内容も話したのですが、
「 Steven ( Weinberg ) は自分の非を認めるべきだ。 」
とスパッと言ってくれました。

山本均より

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2008年07月24日

Re:英語と敬称

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皆様

Lisa のことを書く前に、先日の 「英語と敬称」 についての
返信を書きました。


高橋さんがおっしゃっている 「英語と敬称」 は
僕自身ときどき考えさせられる問題です。

お互いよく知っている関係の場合、
米国では自分の指導教官でも first name で呼ぶのが普通でした。
僕の博士課程の指導教官は Barry Barish でしたが、
呼びかける時は “Barry” で、“Professor Barish” は考えられない。
一方、大学の講義で学生が初めて教授に質問をする際などは
たいてい Professor 誰々と呼んでいました。

ただ、呼びかける時ではなく、Barry が話の中に出てくる場合は
情況によります。
“Barry” といっても誰のことだか判らない人に話す際には
“Professor Barish” とでも言わないと、もちろん意味が通じない。
でも、Barry と言って意味が通じる場合は
ほとんどは first name の“Barry” を使います。

誰々さんと呼ぶ事は、英語で話していてもよくあります。
「Daniel-san」 のように対象が外国人でも。
日本文化を少しでも知っている外国人は、
「san」 が好きな人が多いようです。
丁寧であって親しみがある。

英語だと丁寧に呼ぼうとすると “Dr.” とか “Mr.” とかをつけます。
ですが、親しみを込める際は first name や
その簡略形 ( Charles が Charlie になるなど ) の呼び 捨てになり、
「さん」 のように、丁寧語的であり
しかも親近感がある呼び方が見あたらない。

ただ、 「san」 付けはもともと英語にはない物なので、
どのような場合に 「san」 付けにするかははっきりしません。
たとえば、Daniel のことを欧米はもちろん、日本以外のアジアの国で
英語で言うときには 「san」 は普通つけないですね。

でも、Daniel が日本で日本人と共にした仕事に触れる時などは、
アメリカでアメリカ人と話していても 「Daniel-san」 ということがある。
ただ、その場合は僕自身にとって自然でも、
相手のアメリカ人に怪訝な顔をされることがあります。難しいですね。
こういうのを文化のギャップというんでしょう。

そんな時のキーワードは、英語ですみませんが、 “Tolerance”(許容)です。
実際、tolerance は hate/discrimination の反対語となっています。
要するに、 「まあいいじゃないか」 といろんな言い方を受け入れる事です。

山本均より

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2008年07月11日

僕が会ったノーベル賞学者たち:Sheldon Glashow

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皆様

Sheldon Glashow のオフィスには、よく物理の話などを
しに行きました。また、昼食会等で同席する事も多く、
呼びかける時も first name の “Shelly”でした。
かなりの大男ですが、それを感じさせない
親しみやすさがある方です。

丸めがねのせいもあるでしょうが、
目がくりくりしていて、物理の話やいたずらっぽい事など、
自分が面白いと思う話になると、
その目がきらきらと輝くんですね。

その昔テキサスに出来るはずだった SSC
Superconducting Super Collider ( 超大型円形粒子加速器 ) 計画
というのがあって、
これは 2 千億円ほど出費した後に、
アメリカが勝手に廃止してしまったのですが、
そこに MIT の Samuel Chao Chung Ting が
ある測定器を提案し、
そのための研究グループが出来ていました。

ところが、Ting 教授は政治闘争に敗れて
グループを飛び出したのです。

話を聞いた Glashow は目をくりくり輝かせて、
「 この測定器はこれから “H” と呼ぼう。 」
というので、理由を聞くと
「 Ting のない物(Thing)だから。 」
“Thing” から “Ting” を除くと “h” が残るという訳です。

また、物理学部ではハーバードに限らず、
物性と素粒子はよく競合関係にあります。
物性物理は英語で “Condensed matter physics” と言いますが、
ここでも Glashow はいたずらっぽさを発揮し
「 奴らは “Condemned matter physicist” だ。 」
と言っていました。訳すれば
「 有罪判決を受けた物質の物理学者 」でしょうか。

こんな言葉の遊びの好きな人でした。
ちなみに、Shelly と奥さんはその後
仙台にも来たことがあり、
僕の新しいマンションの来客第一号となりました。

山本均より

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2008年07月03日

僕が会ったノーベル賞学者たち:Steven Weinberg II

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皆様

ハーバードでは 5 年間ほど
“Relativistic Quantum Mechanics” ( 相対論的量子力学 )
という大学院の講義を受け持っていました。
最初生徒数は 3 ~ 4 人でしたが、
5年間のうちに 20 人を超えるまでになりました。

で、講義録を本にしてほしいという要望が生徒や研究者からあり、
場の量子論の教科書を書くことになりました。
( ほぼ完成しました、もう少しです。 )

教科書を書くうえで非常に参考になったのが
Weinberg の“The Quantum Theory of Fields Vol. 1,2”Cambridge Press
( 場の量子論 )でした。
でも、一つ腑に落ちない事がありました。

ちょっと難しい話になって恐縮ですが、
粒子の場というのは、
いろんな運動量をもった粒子と反粒子を
生成したり消滅したりする演算子の寄せ集めで出来ています。

さて、この粒子の場に、
粒子と反粒子を入れ替える演算“C”を施してやると、
一般には、いろんな運動量をもった粒子と反粒子が
バラバラの位相で粒子-反粒子反転をするんですね。

それが、いろんな粒子の間の反応を考えてやって、
その反応が“C”を施してやっても
まったく変化しないと要求してやると、
このいろんな位相がきれいにそろう。

ところが、Weinberg の教科書では
そこがどうも短絡的になっているので、
僕が何か見落としているのかと思い、
直接 Weinberg にメールで聞きました。
それが、計 10 通くらいのやり取りになり、
興味がある他の理論家が CC してくれと頼み、
公開討論、と言うと大げさですが、
そんなものに発展しました。

結局、Weinberg の教科書では、
「 ある特定の反応を仮定するのは暗黙のうちの了解である。 」
という感じで、かなりうやむやに終わりました。
その後、ある講演会で Weinberg に会ったとき、
「 あの、問題、はっきり判りました。 」と言うと、
「 そうか、良かった、良かった。 」
と返ってきました。

興味のある方は、僕の教科書 8 章
http://www.awa.tohoku.ac.jp/~yhitoshi/particleweb/partic3.html
と比べてみてください。

山本均より

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2008年06月30日

僕が会ったノーベル賞学者たち:Steven Weinburg I

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皆様

さて、ハーバード でのノーベル賞素粒子論物理学者といえば
Steven Weinberg Sheldon Glashow ですね。
弱い相互作用と電磁相互作用を統一し
現在「 標準理論 」と呼ばれているものの基礎を作りました。

僕が ハーバード にいたのは
助教授と准教授として1991年から 8 年間。
その間、Sheldon Glashow が教授として、ずっといました。
Steven Weinberg はテキサス大学オースティン校に
移ってしまっていましたが、
ハーバード客員教授として部屋も持っていて、
ときどき現れていました。

連中は理論、僕は実験で、建物も違いましたが、
理論で判らないことがあると
よく向こうに出向いて、連中を煩わせていました。

あるとき、Weinberg がたまたま来ていて、
お昼時に Weinberg と Glashow と 僕とあと 1 ~ 2 人で
ファカルティー・クラブ( Faculty Club ) に
行こうということになりました。
ファカルティー・クラブ は大学のレストランで
日本の大学のものとは比べ物にならないくらい高級です。

ネオ・クラシックな建物で
壁にいかめしい油絵がそこら中にかかっている部屋で
三ツ星クラスの料理が出ます。
となりが北米で唯一の Le Corbusier の建築と言われる
カーペンター視覚芸術センターというのも面白い。

そこでランチを食べながら
ポスト・モダーンとはなにかとか、議論しているうちに
宇宙の話になり、超対称性の話になりました。

で、「 超対称性理論を信じますか 」と聞いたのですが、
その答えをいまもはっきり覚えています。
「 自己矛盾のない理論は実在する 」
と言ったんですね。
で、どういう意味か問いただすと、
「 実際に自然を説明するかどうかは別にして実在する 」
と答えました。

さすがは理論家だなあと思いましたね。
自己矛盾のある理論は理論として成り立たない。
そして、自己矛盾のない理論を造るのは実に大変な事で、
理論家はそれに毎日四苦八苦する。

で、ともかく自己矛盾のない理論ができれば、それで万々歳。
理論は自立することになる。
だから、たとえその理論が、標準理論を超える理論にならなくても
宇宙のどこかにその理論が説明する
現象が存在するはずだと考えているようでした。

実は、Weinberg とは、その後一悶着あるのですが、
それは次回に…。

山本均より

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2008年06月26日

日経サイエンス5月号

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天満様

日経サイエンスの記事
動き始めた国際リニアコライダー構想
SCIENTIFIC AMERICAN 誌の特別記事
“ Building the Next- Generation Collider”
の日本語訳ですが、
国際リニアコライダー設計チームの長である
Barry Barish に SCIENTIFIC AMERICAN 誌から
声がかかったのが 2006 年春頃、
その夏に Barry からドイツ人で加速器屋の Nicholas Walker と僕に
「 一緒に書かないか 」と言ってきました。

なぜ僕にお声がかかったかというと、
リニアコライダーの物理と測定器の国際組織
( World Wide Study と呼ばれている )の
アジア代表ということもありますが、
実は、 Barry は僕の博士課程の指導教官だったんですね。

そうして始まりましたが、
皆忙しいのでなかなか執筆が進まない。
僕の担当は主に測定器だったんですが、
記事をご覧になればわかるように、ほとんどが加速器の話です。
書く量が少ないとかえって始めにくいもので、
皆さんの足を引っ張っていました。

日経サイエンスは
SCIENTIFIC AMERICAN 誌の記事の日本語訳を核として
一応独自の編集をしている科学雑誌ですが、
「 リニアコライダーの話は面白い 」というので、
日経サイエンスにも載ることになりました。
それで、前回の怠惰の埋め合わせをすべく
しっかりと日本語訳の仕事をこなしました。

今年 5 月に出版されたとき、
Barry から声がかかってから 2 年近くが過ぎていました。

さて、ハーバード での Weinberg や
Glashow の話ですが、
長くなりましたので、
それは次の書簡で。

山本均より

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2008年06月18日

こんにちは、山本です

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皆様

こんにちは。

物理屋往復書簡に参加させていただく事になった
山本です。

このような形式は全く初めてなので
いろいろとぎこちないところもあるかと思いますが、
お手柔らかに、よろしくお願いします。

大学院から渡米し、20 年以上
カリフォルニア、イリノイ、マサチューセッツ、ハワイを
転々として、 7 年ほど前に日本(仙台)に帰って来ました。

これまで、ひと所にいた最長は
マサチューセッツ州ケンブリッジ市の 8 年ですが、
あと 1 年で、仙台が追い抜きます。

向こうでの話なども含めて
皆さんに楽しんでいただければ、と思います。

山本均より

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