物理学者と素粒子好きのみなさんとの、ILC(リニアコライダー)にまつわる対話集。
好奇心のおもむくまま話はいろいろなことろに、飛んでいきます! はてさて、素粒子物理研究の一端をここで垣間見る見ることはできるのでしょうか?
▼はじめのごあいさつ
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広島大学准教授。スタンフォード線形加速器センターへて、広島大学へ。リニアコライダーでは「レーザーと電子ビーム」をキーワードに光子光子衝突や偏極陽電子源の開発を行っている。小学校のときは剣道場へ通い、中学・高校ではサッカー部だった。今でも週2回のスポーツジム通いは欠かさない。
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バレエ評論家。第4回・5回日本ダンス評論賞入賞。好きなものはバレエと猫。著書に『「星座」になった人 芥川龍之介次男・多加志の青春』(新潮社)がある。
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高エネルギー物理学実験を楽しんできたが、1年半前に KEKを定年退職して現在は名誉教授に。05年には木原元央氏と共著にて『リニアコライダー 素粒子の謎に挑む最強の加速器』(技術経済研究所)を刊行。
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カリフォルニア工科大学大学院に留学し、スタンフォード線形加速器センター、フェルミ研究所等で素粒子実験に携わる。ハーバード大学准教授、ハワイ大学教授を経て現在東北大学教授。ILCの物理と実験に関する国際組織のアジア代表を務めている。趣味は茶道、ピアノ、インラインスケートなど。
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2008年10月11日
皆さん
ずっと前からノーベル賞だといわれてきた 3 人でしたね。
晩酌しながら見ていたテレビの字幕で知った時は
「やっと受賞か…」といった感じでしたが、
その後めでたさとうれしさが、じわっと増してきました。
小林・益川のお二人は、
僕と同世代の身近な存在だったんです。
クォークについての小林・益川理論(KM理論)が出たのは、
確か 1972 年のことでした。
その後、加速器の高エネルギー化とともに
4, 5, 6 番目のクォークが次々と発見されました。
79 年に 5 番目(ボトムクォーク)が見つかってからは、
6 番目もあるぞと多くの人が確信しましたから、
この時点で KM 理論は証明されたとも言えるでしょう。
論文発表から 10 年弱でした。
やはり 6 番目(トップクォーク)が見つかってからだと考えると
94 年のことでしたから約 20 年後となります。
もっとキツイ見方もありました。
6 種のクォークが揃うだけでなく、
わずかに見えている対称性の破れが
予言によく合っていなければ、ダメというもの。
日本と米国の Bファクトリーという新加速器のもとで
見事に測定されたのが 2002 年頃。
理論構築から 30 年後ですね。
KM 理論は、ひとつの新粒子を見つければ
劇的に証明されたことになるタイプの理論ではありません。
基本粒子の枠組みに関するものでしたから
厳密な検証までには時間がかかったわけです。
光栄なことに、僕は小林さんとは
KEK (高エネルギー物理学研究所、のちに高エネルギー加速器研究機構)
で約 20 年もの付き合いでした。
もっとも理論と実験の違いはあるし、
小林さんは初めから研究所の「看板」でしたが。
この 20 年の後半には、「CP 対称性」の崩れ具合を測る
Bファクトリー計画 を推進することになりました。
同様な計画が世界のあちこちで提案され、大変な状態でした。
でも「KM 理論で始まって世界をリードしてきた研究課題なんだから、
ぜひ我々の手で測定して決着をつけたい。」
という強い意気込みが政府に通じ、予算がついたのです。
日本・米国の計画だけが生き残り、一対一の激しい競争になりました。
日本側は遅れてスタートしただけに、冷や冷やしていたのですが
驚かされました。
いろいろと問題はあったのに、加速器は性能をぐんぐん上げて
とうとう世界一になったのです。
実験装置も見事に働いて難しい測定を成し遂げました。
80 年代の “トリスタン電子・陽電子コライダー計画” を通じて、
秀れた加速器研究者がたくさん育っていったんですね。
若い実験研究者も昔とずいぶん違って見えます。
非常に優秀で何でもできそうな人が多く、
学位論文のレベルの高さも印象的です。
(僕の学位論文なんて今の人に見せられるもんじゃありません。)
やはり適切な研究の場があると人が育つんですね。
岩田正義より
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