物理学者と素粒子好きのみなさんとの、ILC(リニアコライダー)にまつわる対話集。
好奇心のおもむくまま話はいろいろなことろに、飛んでいきます! はてさて、素粒子物理研究の一端をここで垣間見る見ることはできるのでしょうか?
▼はじめのごあいさつ
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広島大学准教授。スタンフォード線形加速器センターへて、広島大学へ。リニアコライダーでは「レーザーと電子ビーム」をキーワードに光子光子衝突や偏極陽電子源の開発を行っている。小学校のときは剣道場へ通い、中学・高校ではサッカー部だった。今でも週2回のスポーツジム通いは欠かさない。
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バレエ評論家。第4回・5回日本ダンス評論賞入賞。好きなものはバレエと猫。著書に『「星座」になった人 芥川龍之介次男・多加志の青春』(新潮社)がある。
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高エネルギー物理学実験を楽しんできたが、1年半前に KEKを定年退職して現在は名誉教授に。05年には木原元央氏と共著にて『リニアコライダー 素粒子の謎に挑む最強の加速器』(技術経済研究所)を刊行。
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カリフォルニア工科大学大学院に留学し、スタンフォード線形加速器センター、フェルミ研究所等で素粒子実験に携わる。ハーバード大学准教授、ハワイ大学教授を経て現在東北大学教授。ILCの物理と実験に関する国際組織のアジア代表を務めている。趣味は茶道、ピアノ、インラインスケートなど。
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2008年07月24日
皆様
Lisa のことを書く前に、先日の 「英語と敬称」 についての
返信を書きました。
高橋さんがおっしゃっている 「英語と敬称」 は
僕自身ときどき考えさせられる問題です。
お互いよく知っている関係の場合、
米国では自分の指導教官でも first name で呼ぶのが普通でした。
僕の博士課程の指導教官は Barry Barish でしたが、
呼びかける時は “Barry” で、“Professor Barish” は考えられない。
一方、大学の講義で学生が初めて教授に質問をする際などは
たいてい Professor 誰々と呼んでいました。
ただ、呼びかける時ではなく、Barry が話の中に出てくる場合は
情況によります。
“Barry” といっても誰のことだか判らない人に話す際には
“Professor Barish” とでも言わないと、もちろん意味が通じない。
でも、Barry と言って意味が通じる場合は
ほとんどは first name の“Barry” を使います。
誰々さんと呼ぶ事は、英語で話していてもよくあります。
「Daniel-san」 のように対象が外国人でも。
日本文化を少しでも知っている外国人は、
「san」 が好きな人が多いようです。
丁寧であって親しみがある。
英語だと丁寧に呼ぼうとすると “Dr.” とか “Mr.” とかをつけます。
ですが、親しみを込める際は first name や
その簡略形 ( Charles が Charlie になるなど ) の呼び 捨てになり、
「さん」 のように、丁寧語的であり
しかも親近感がある呼び方が見あたらない。
ただ、 「san」 付けはもともと英語にはない物なので、
どのような場合に 「san」 付けにするかははっきりしません。
たとえば、Daniel のことを欧米はもちろん、日本以外のアジアの国で
英語で言うときには 「san」 は普通つけないですね。
でも、Daniel が日本で日本人と共にした仕事に触れる時などは、
アメリカでアメリカ人と話していても 「Daniel-san」 ということがある。
ただ、その場合は僕自身にとって自然でも、
相手のアメリカ人に怪訝な顔をされることがあります。難しいですね。
こういうのを文化のギャップというんでしょう。
そんな時のキーワードは、英語ですみませんが、 “Tolerance”(許容)です。
実際、tolerance は hate/discrimination の反対語となっています。
要するに、 「まあいいじゃないか」 といろんな言い方を受け入れる事です。
山本均より
2008年07月15日
みなさま
『 ワープする宇宙 5 次元時空の謎を解く 』( NHK出版 )を、
やっと読み終えました。
読み終えたといっても、字を追っただけです。
岩田先生もお読みになられたそうですね。
岩田先生は、原書 “ Warped Passages:Unraveling
the Mysteries of the Universe’s Hidden Dimensions ”
(英語版)で、私は日本語訳で。(笑)
感想はいかがでしたか。
ですが、日本語でも通読するのは、大変でした。
だって、600 ページ以上もあるのですよ。
科学の書籍には珍しい明るいオレンジ色の表紙に
目を奪われて、購入してしまったのです。
おまけにこの本は、余剰次元から始まって、ヒッグス機構、超ひも理論、
ブレーンワールド … など最新の素粒子理論満載で
素人の私では一気に、というわけにはいかず
長い間本棚へしまい込んでおりました。
“ 5 次元 ”ってなんですか。
よく分かりません。( 正直すぎて、ごめんなさい。苦笑 )
著者の リサ・ランドール博士 は、去年タイムス誌の
世界に最も影響を与える 100 人のひとりに選ばれました。
また、ファッション雑誌の “ VOGUE ” で特集が組まれるほどの
素敵な女性でもあります。
山本先生は、ハーバード大学の素粒子物理で
ランドール博士と一緒にお仕事をされていたと伺っております。
なんだか華やかですね。
ぜひ、お話を聴かせていただきたく!
よろしくお願いいたします。
天満ふさこより
2008年07月11日
僕が会ったノーベル賞学者たち:Sheldon Glashow
皆様
Sheldon Glashow のオフィスには、よく物理の話などを
しに行きました。また、昼食会等で同席する事も多く、
呼びかける時も first name の “Shelly”でした。
かなりの大男ですが、それを感じさせない
親しみやすさがある方です。
丸めがねのせいもあるでしょうが、
目がくりくりしていて、物理の話やいたずらっぽい事など、
自分が面白いと思う話になると、
その目がきらきらと輝くんですね。
その昔テキサスに出来るはずだった SSC
Superconducting Super Collider ( 超大型円形粒子加速器 ) 計画
というのがあって、
これは 2 千億円ほど出費した後に、
アメリカが勝手に廃止してしまったのですが、
そこに MIT の Samuel Chao Chung Ting が
ある測定器を提案し、
そのための研究グループが出来ていました。
ところが、Ting 教授は政治闘争に敗れて
グループを飛び出したのです。
話を聞いた Glashow は目をくりくり輝かせて、
「 この測定器はこれから “H” と呼ぼう。 」
というので、理由を聞くと
「 Ting のない物(Thing)だから。 」
“Thing” から “Ting” を除くと “h” が残るという訳です。
また、物理学部ではハーバードに限らず、
物性と素粒子はよく競合関係にあります。
物性物理は英語で “Condensed matter physics” と言いますが、
ここでも Glashow はいたずらっぽさを発揮し
「 奴らは “Condemned matter physicist” だ。 」
と言っていました。訳すれば
「 有罪判決を受けた物質の物理学者 」でしょうか。
こんな言葉の遊びの好きな人でした。
ちなみに、Shelly と奥さんはその後
仙台にも来たことがあり、
僕の新しいマンションの来客第一号となりました。
山本均より
2008年07月07日
山本様、皆様
山本さんが加わって、いきなり国際的な話題になりました。
それに有名人がたくさん登場しますね。
ところで、日本人では同級生のような
年齢も同じでごく親しい場合を除いて、
人の名前には “さん” などの敬称をつけます。
職業柄、私たちの周りでは“先生”も多いですね。
一方外国では、Mr. とか Dr. をつける方が珍しい。
私は 「 郷に入りては郷に従え 」ということで
外国人と話す時は、first name で呼び合うことが比較的多いです。
しかし、人によってはそうならさない方もいるようです。
ILC で活動している人達をみると、全く人それぞれです。
私はいい加減なので、その時々で適当にやっていますが。
山本さんは全く欧米流なのだと想像します。
最近は小学校でも英語の授業をやっていますが,私の娘の授業で,
“Good morning, Ms. 何々teacher”
とやっていると聞いたときは、目が点になりました。
これはどうにかしないといけないですが、
最近は モンスターペアレント が問題になっているし…。
日本でも敬称は気になります。
先ほども言いましたが “先生” は誰に対して付けるのでしょうか。
私が学生の時には、大学の教官を“さん”と呼んでいました。
広島に来たら、“先生” と呼ばれるようになりました。
これは、あまり気持ちよくない。
それに学生が大学の教員を “なんでも教えてくれる先生” と
考えているとしたら、それは良くないと思ったので
私たちの研究室では、あるときから “先生” は禁止、
“さん” にすることしました。今でもそれは続いています。
でも最近は教員同士で “先生” と呼ぶ機会が多くなりました。
これはいろいろな場面で意味合いが違うようです。
“さん” では少し慣れなれしいと思って “先生” と呼ぶこともあります。
でもその全く逆に “さん” だと他人行儀だし、
かといって呼び捨てにはできないので、
当たり障りのない “先生” をつけることもあります。
時々ある( いやよくある )のは、言いにくいことや、頼み事の時に
“先生お願いしますよ…”
と言う感じで使うこともあります。ああ~~難しい。
山本さんのワイバーグやグラショーとの交流の話から
いきなりこんな話になってしまいました。
ご了承ください、山本先生。
高橋徹より
2008年07月03日
僕が会ったノーベル賞学者たち:Steven Weinberg II
皆様
ハーバードでは 5 年間ほど
“Relativistic Quantum Mechanics” ( 相対論的量子力学 )
という大学院の講義を受け持っていました。
最初生徒数は 3 ~ 4 人でしたが、
5年間のうちに 20 人を超えるまでになりました。
で、講義録を本にしてほしいという要望が生徒や研究者からあり、
場の量子論の教科書を書くことになりました。
( ほぼ完成しました、もう少しです。 )
教科書を書くうえで非常に参考になったのが
Weinberg の“The Quantum Theory of Fields Vol. 1,2”Cambridge Press
( 場の量子論 )でした。
でも、一つ腑に落ちない事がありました。
ちょっと難しい話になって恐縮ですが、
粒子の場というのは、
いろんな運動量をもった粒子と反粒子を
生成したり消滅したりする演算子の寄せ集めで出来ています。
さて、この粒子の場に、
粒子と反粒子を入れ替える演算“C”を施してやると、
一般には、いろんな運動量をもった粒子と反粒子が
バラバラの位相で粒子-反粒子反転をするんですね。
それが、いろんな粒子の間の反応を考えてやって、
その反応が“C”を施してやっても
まったく変化しないと要求してやると、
このいろんな位相がきれいにそろう。
ところが、Weinberg の教科書では
そこがどうも短絡的になっているので、
僕が何か見落としているのかと思い、
直接 Weinberg にメールで聞きました。
それが、計 10 通くらいのやり取りになり、
興味がある他の理論家が CC してくれと頼み、
公開討論、と言うと大げさですが、
そんなものに発展しました。
結局、Weinberg の教科書では、
「 ある特定の反応を仮定するのは暗黙のうちの了解である。 」
という感じで、かなりうやむやに終わりました。
その後、ある講演会で Weinberg に会ったとき、
「 あの、問題、はっきり判りました。 」と言うと、
「 そうか、良かった、良かった。 」
と返ってきました。
興味のある方は、僕の教科書 8 章
http://www.awa.tohoku.ac.jp/~yhitoshi/particleweb/partic3.html
と比べてみてください。
山本均より
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