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2008年04月26日

『物理学はいかに創られたか』

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高橋先生、どうもありがとうございます。
物理学=数学を用いて記述するのですね。

『 日経サイエンス5月号 』に川合光先生と茂木健一郎氏の
対談が載っていました。
グッドタイミング!
そこでもう一度『 物理学はいかに創られたか 』( 岩波新書 )を
読んでみることにしました。
アインシュタインとインフェルトの共著です。

川合先生は、小学五年生でお読みになって
物理学の凄さに、強い感銘を受けられたのだと伺いました。
また小柴先生が、中学一年の時恩師からいただいて読まれ
「 物理学にはじめて出会った 」本であることも存じています。

私がこの本のことを知ったのは、大学生の時。
寺田寅彦の著作のなかに「 石原君 」という名前が出てきたからです。

この訳者の石原純博士は、東北帝大の理論物理学者でした。
教授だった彼は、歌人の原沙知緒と恋愛事件を起こし、
駆け落ちしてしまったのです。
そこで、当時私は何かオモシロイことが書かれていないかという
非常によこしまな動機で頁をめくりました。

今回、改版で読みました。
数式を使っていないことに、あらためて驚きました。
久しぶりに、順を追って頭で考えることをし、
上質な本の味わいをたっぷりと実感しました。

訳もすばらしいです。
文章にリズム感があって、おまけに明晰。
ちっとも古びた感じがしません。
この石原純という物理学者は、アララギ派の歌詠みでもあったのですね。

この本を著した1938年、レオポルト・インフェルトはアメリカにいました。
ユダヤ人である彼が、祖国ポーランドへ帰ることは
命に危険が迫ることを意味しました。
しかし、彼はその後アメリカのプリンストン研究所にむかえられます。
もしかしたら、この名著が彼の命を救ったといえるかも知れません。

天満ふさこより

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2008年04月14日

理論と実験 <その3>

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理論と実験の話に戻りましょう。
理論物理学者とは、
つまり自然を記述する物語を書く作家や編集者でしょうか。
ただし、使う言語は数学です。

自然を記述しようとしたのですが、言葉そのものが舌足らずで
うまくいかないこともあります。
その場合、言語そのものを創り出さなければなりません。
力学を創るときに、微分積分学ができました。
今でもこの方面の最先端は、
数学なのか物理なのか見分けがつきません。

実験物理学者は材料を創り出して作家に提供したり、
作家の書いたストーリーの真偽を
実際に試したりすることになります。

ある時は起業家、ある時は経営者、従業員、発明家、役者
……いろいろな人がいます。
もちろんどちらも,物語を完成させることが目標ですが
仕事の内容や性格、適性もかなり違うようです。

作家でも、事業に乗り出したり、政治家になったりする人もいますし
本を書くのは作家だけではありません。(私たちも書きました!)

作家でも、事業に乗り出したり、政治家になったりする人もいますし
ですが、それぞれの仕事があまりにも
専門的知識と労を要するようになってしまったので
いつしか理論と実験という区別ができてしまいました。

でも私は、本当は実験とか理論とか区別するのは
好きではありません。
方法が違うだけで目指すところは同じ。
自然を記述する物語を完成させたいのですから。

高橋徹より

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2008年04月10日

理論と実験 <その2>

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以前授業でこんな話をしたことがあります。

とてもおおざっぱな話なのですが、
“ 人間を解明すること ” を考えてみます。

対象                分野        表現方法(つまり上でいう言語)
人間の行動様式の解明   脳科学?     例えばMRIによる血流など
神経の活動          生物学/脳科学  神経電位など
神経細胞の動作原理     化学         化学反応式
分子や原子の成り立ち    物理         量子力学

こんな具合に、ちょっと強引ですが、
追求する対象が小さくなるほど、
使う言語が数学に近くなっていると考えられます。

( もっとも情報学とか統計学のように
化学のなかにも量子化学という分野もありますから
これは一つの見方です。
それに、脳の場合は、主体と客体が明確に分離できないので
話が複雑になります。それはそれで面白いのですが。)

ということで、物質の究極の成り立ちを表す方法が
高度な数学になるのは、自然な成り行きと考えることができます。

高橋徹より

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2008年04月06日

理論と実験 <その1>

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皆様

先月の 23 日から 26 日まで「 物理学会 」に行ってきました。
宿泊したホテルのネットワーク環境があまりよくなくて、
メールもままならない状況でした。
今回と前回の学会は素粒子実験領域の世話人ということで
プログラムを作ったり、会期中は全セッションで進行を見守ったりと
大忙しでした。
その話はまた別の機会に…。

さて、理論物理について、どのように返事しようかと考えていたのですが
そもそも理論物理とか、実験物理って何だろうと思い始めました。
そんなことを考えていたら、
「 そもそも物理って何だっけ? 」
などという、根本的なことを考え始めてしまいました。
またまたとりとめのない長い話になりそうなのですが、書いてみます。

物理学というのは結局、
「 自然現象はこのように起こっているのだよ 」
ということを記述するのが目的だと思います。

記憶が曖昧なのですが
「 物理学とは自然を記述することだ 」
と昔の高名な方が言っていたと思います。
よく自然を解明するという表現を使いますが
解明するというのは、記述するということだ、ということです。
( ここを間違えると、似非科学にひっかかります。 )

でも、この記述するとうのがクセ者です。
物理学で記述するというのは、誰が読んでも曖昧なく理解できるように
客観的に記述すると言う意味です。
そのためには、使う言語もそれに適したものである必要があります。
我々が持っている最も客観的な言語=数学です。
つまり物理学というのは,自然現象を数学で表したらどうなるか
ということが本質であると思います。

高橋徹より

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2008年04月02日

Re:超ひも理論

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岩田 先生

岩田先生の書簡を読んで、ふと…。
おととしの秋、広島で開催された「 究極の素粒子 ―超弦理論の展望― 」を
拝聴した時のことを思い出したのです。

スライドに映されたファインマン図( というのだろうと思います )と
「 超弦理論 」の専門用語…。
あれいらい私は、軽々しく “ ひも ” のことを言わなくなりました。(苦笑)

講演の最後に、川合光先生は、
小学五年生の時『 物理学はいかに創られたか 』を読み
高校時代に『 ファインマン物理学 』を読んで
感銘を受けたことを話されました。

私の本棚にあった本と、違いすぎます。(笑)
大学を卒業して読んだのは、同じファインマンでも
『 ご冗談でしょう、ファインマンさん 』( 岩波書店 )でした。

幼い時からの環境って大切ですね。
バレエ、特にクラシックバレエでは、プロのダンサーを目指す人は
子供の頃からの絶え間ない訓練が必要です。
それも世界に羽ばたくには、バレエ漬けの人生を覚悟しなければ
なりません。

物理を志す人も、何か若い時からの訓練が必要ですか?

天満ふさこより

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