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2007年07月17日

Re:Re: 湯川・朝永展(中間子論の頃)

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皆様

湯川・朝永展にある朝永さんから湯川さんへの書簡ですが
もう少し調べてみました。

朝永書簡の中にあるポテンシャルなのですが、正確には
「Ae(-λr)/r としたのは仙台でやりました」
と書いています。

この「仙台」は、1933 年 4 月の
東北大学の日本数理物理学会のこと
を指していると思われます。
この学会には湯川さんも出席し、
彼の初めて学会講演を行っています。

「仙台でやりました」というのは、
朝永さんが彼がこれに関する講演を
学会で行ったということのようです。
そうすると「仙台でやりました」という表現も
しっくりきます。

ところで,湯川さんの学会講演の内容は
「核力を担うものとして電子の可能性を議論し
それを否定的な結果を得た」というものです。
( 専門的にいうと電子はフェルミ統計に従う粒子だから
ダメでした。
このときに、
ボーズ統計に従う電子のようなものを考える必要性を、
仁科博士が指摘したという話も残っています。
すごい!)

朝永さんの著書“ 学問する姿勢 ”の
「 中間子論が出たころの思い出 」には、
東北大学の学会で、
湯川が彼の考えを棒で地面に書いて説明しながら,
「 強い力の説明はできたが、けったいな粒子が出てくるわ 」
といったとの記述があります。

繰り返しですが,
この話は、1933 年、中間子論の1年以上前なのです。
( 湯川さんが中間子の着想を得たのは1934年10月というのが
本人の回想にもあります。 )

湯川さんだけでなく、朝永さんも中間子論まで
あと一歩だったのかもしれません。

高橋徹より

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