物理学者と素粒子好きのみなさんとの、ILC(リニアコライダー)にまつわる対話集。
好奇心のおもむくまま話はいろいろなことろに、飛んでいきます! はてさて、素粒子物理研究の一端をここで垣間見る見ることはできるのでしょうか?
▼はじめのごあいさつ
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広島大学准教授。スタンフォード線形加速器センターへて、広島大学へ。リニアコライダーでは「レーザーと電子ビーム」をキーワードに光子光子衝突や偏極陽電子源の開発を行っている。小学校のときは剣道場へ通い、中学・高校ではサッカー部だった。今でも週2回のスポーツジム通いは欠かさない。
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バレエ評論家。第4回・5回日本ダンス評論賞入賞。好きなものはバレエと猫。著書に『「星座」になった人 芥川龍之介次男・多加志の青春』(新潮社)がある。
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高エネルギー物理学実験を楽しんできたが、1年半前に KEKを定年退職して現在は名誉教授に。05年には木原元央氏と共著にて『リニアコライダー 素粒子の謎に挑む最強の加速器』(技術経済研究所)を刊行。
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カリフォルニア工科大学大学院に留学し、スタンフォード線形加速器センター、フェルミ研究所等で素粒子実験に携わる。ハーバード大学准教授、ハワイ大学教授を経て現在東北大学教授。ILCの物理と実験に関する国際組織のアジア代表を務めている。趣味は茶道、ピアノ、インラインスケートなど。
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2007年07月17日
皆様
湯川・朝永展にある朝永さんから湯川さんへの書簡ですが
もう少し調べてみました。
朝永書簡の中にあるポテンシャルなのですが、正確には
「Ae(-λr)/r としたのは仙台でやりました」
と書いています。
この「仙台」は、1933 年 4 月の
東北大学の日本数理物理学会のこと
を指していると思われます。
この学会には湯川さんも出席し、
彼の初めて学会講演を行っています。
「仙台でやりました」というのは、
朝永さんが彼がこれに関する講演を
学会で行ったということのようです。
そうすると「仙台でやりました」という表現も
しっくりきます。
ところで,湯川さんの学会講演の内容は
「核力を担うものとして電子の可能性を議論し
それを否定的な結果を得た」というものです。
( 専門的にいうと電子はフェルミ統計に従う粒子だから
ダメでした。
このときに、
ボーズ統計に従う電子のようなものを考える必要性を、
仁科博士が指摘したという話も残っています。
すごい!)
朝永さんの著書“ 学問する姿勢 ”の
「 中間子論が出たころの思い出 」には、
東北大学の学会で、
湯川が彼の考えを棒で地面に書いて説明しながら,
「 強い力の説明はできたが、けったいな粒子が出てくるわ 」
といったとの記述があります。
繰り返しですが,
この話は、1933 年、中間子論の1年以上前なのです。
( 湯川さんが中間子の着想を得たのは1934年10月というのが
本人の回想にもあります。 )
湯川さんだけでなく、朝永さんも中間子論まで
あと一歩だったのかもしれません。
高橋徹より
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