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2006年12月21日

Re: 海に眠るサイクロトロン

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天満様

わが国の加速器の黎明期をつくった仁科博士については、
どうやら僕よりよくご存知のようですね。
久しぶりの東京で、放射線医学総合研究所・前所長の平尾泰男先生の
講演を聞いてきました。

第 42 回加速器科学研究会 (社団法人・国際経済政策調査会主催) での
お話で、主題は粒子線によるがん治療だったのですが、
仁科博士が作ったサイクロトロンの不幸な結末を、
あらためて、そして生々しく思い浮かべる機会ともなりました。

敗戦直後に GHQ の指令によって、理化学研究所だけでなく
大阪大と京都大のサイクロトロンも、原子爆弾製造装置とみなされて
破壊されたことは有名です。大阪大での破壊の過程は、
占領軍の従軍記者が撮影していました。
これを入手した (大阪大出身の) 先生が自らパソコン上で編集したものを、
研究会で歴史的背景として披露してくれたのです。
(まだ先生のパソコン上だけにある段階だそうです)。

旧理学部の建物を重機で壊し、加速器だけでなく
実験用のベータ線分析器までも分解して搬出し、
松林で組み立てなおし、中に爆薬を詰めて爆破した、
という一連の行為がニュース映画のようでした。
関係者は静止写真をみる以上に悲しくなるだろうなと、
妙にセンチな気分になりました。

なお、理研の加速器と関係者の歴史については、
上坪宏道先生が 「 理研の加速器 ― 1910年代から現在まで 」
というタイトルで日本加速器学会誌に連載されています。
専門的な記述も含みますが…。
2 巻 2 号( 2005 )、2 巻 3 号( 2005 )、3 巻 1 号( 2006 )です。

こんな悲しい時期を経て、
日本の高エネルギー加速器が世界のトップをとったのは 40 年後でした。
それからさらに 30 年余がたって、
国際的な形でリニアコライダーを実現したいと願っているわけです。
建設の過程をデジカメで記録してみたいですね。

岩田正義より

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